2015/09/23

揺れる子育て:福島原発事故から4年半/下 それぞれの選択を認めて

2015年9月23日 毎日新聞
http://sp.mainichi.jp/shimen/news/20150923ddm013040009000c.html
家族そろっての夕食を楽しむ松井知美さん(右から2番目)
=福島市で、小林洋子撮影
●ほっとできる
「私、福島の高校に行く。そしたら、また家族一緒に暮らせるんでしょ」

東京電力福島第1原発事故で、福島市から山形県米沢市に母子で自主避難していた松井知美さん(46)は、長女(15)のこの言葉をきっかけに今春、4年ぶりに福島での生活を再開した。「自宅の放射線量はかなり下がったけど、低線量被ばくの影響もよく分からず、帰るかどうか迷っていた。いい決断になった」と振り返る。

2011年秋から翌春にかけ、夫(48)を自宅に残し、当時中学3年の長男や小学6年の長女ら2男3女を、転校手続きが済むなど都合のつく順に連れ、米沢市へ避難した。福島では自宅1階で夫婦共働きで整体院を営んできた。夫は当初、家族が離れて暮らすことに反対したが「子どもの健康のため」と説得した。

常連客もいる整体院を続けるため、週4日、車で1時間かけて福島に通った。三女を幼稚園に送り、午前8時に米沢を出て午後6時半の園のお迎えまでに戻る。避難が長引いた場合に備えて収入を得るため、米沢でも整体の仕事を始めた。休日がなくなり二重生活にも疲れ、長女に家事を負わせることもあった。

「大変だろうけど頑張って」。福島で客に励まされるたびに、「優しくしてくれる人たちのいる福島に戻りたい」との思いが募った。購入した放射線量の測定器で自宅の室内を測ると、避難時は毎時0・5マイクロシーベルトだったのが、昨年6月には0・1マイクロシーベルトまで下がっていた。帰るか、避難を続けるか。迷っていたところに長女の高校受験が重なった。

今年4月、長女は福島市の高校に進学。放射線への不安は残るが「気にしすぎても体に悪い」と休日は家族で果樹園や沢に遊びに出かける。食卓を囲む家族の笑顔に、松井さんも「ほっとする時間が増えた」と目を細める。

●家賃負担は無理
震災から4年以上たち、避難先から福島に戻る人たちが出てきた。福島県は今年6月、帰還を促すため、自主避難者が入居するアパートなど住宅の無償提供を17年3月末で打ち切ると発表。打ち切りまでに県内に戻る避難者には、引っ越し費用を1世帯最大10万円補助する。しかし、誰もが前向きな気持ちで福島に帰ってくるわけではない。

4月、東京都内から福島県いわき市に戻った鈴木寛子さん(35)は「できれば帰りたくなかった」と打ち明ける。

次男(4)の出産を2カ月後に控えた11年3月16日、夫を残し長男(9)を連れ東京に避難。都営団地に入居し、長男も近くの小学校になじんでいた。

しかし昨夏、いわき市に住む実家の父が病気で倒れ介護が必要に。母も体が弱く、介護を任せるには不安が残る。さらに住宅の無償提供が近く終わる、とのうわさを耳にした。無償提供の今も貯金を切り崩し生活しているのに、家賃を負担して避難を続けるのは難しい。「遅かれ早かれ戻らざるを得ないのなら、子どもが友達となじむためにも早いほうがいい」と決断した。

小学校の給食は、県内産など食材の産地で不安を感じれば、同じメニューのおかずを作り長男に持たせる。学校の体育は「仕方ない」が、下校後は外では遊ばせない。放射線を気にしていることを周りの保護者に気付かれると、子どもまで悪く言われかねないと不安に思い、おかずを持参させる理由を「アレルギーがあるから」と説明し本音は明かさない。「地元に帰ってきたのに、昔からの友人にも放射線について相談できず、むしろ孤立している気がする」

12年4月に妊娠5カ月で福島市から新潟市に避難した菅野多佳子さん(42)は、家族そろった生活を求め今年1月、福島県に戻ってきた。放射線量の低い場所を探し、夫と2歳になった長女の3人で伊達市内に家を借りて暮らす。

避難中、寂しくならないようにと夫と毎日電話で話をした。しかし次第に会話が義務的になり、電話口で互いに無言になることも。地縁のない土地で初めての子育てを1人でするストレスもあり、夫の「大変なら戻ってきたら」という言葉にうなずいた。今も洗濯物は外に干さず、娘を公園で遊ばせる際も放射線量の計測器の表示が毎時0・1マイクロシーベルト以上であれば長居しない。

●「先輩」に相談
そんな菅野さんの不安を和らげたのは他の母親たちとの交流だ。福島市のNPO法人「ビーンズふくしま」は13年6月以降、福島に戻ってきた母親が集う「ままカフェ」を県内5カ所で開催。「子どもをどこで遊ばせたらいいのか」「県内産の野菜やコメは安全なのか」。先に帰還した「先輩」が当時の心境や経験を伝えることで、戻ってきたばかりの母親の不安軽減へとつなげている。昨年度は延べ855人の母子が利用した。

菅野さんは「同じ経験をしたママと話すだけで気持ちが楽になる。心に引っかかることを打ち明けられる場所があるのは貴重」と話す。NPOでカフェの運営に携わった富田愛さん(45)は「これから戻る人もきっと同じように悩む。不安を受け止めるため活動を継続したい」という。

福島の母親を支援する福島大の本多環・特任教授(教育支援)は「行政は、帰還してからだけでなく、帰るかどうか迷っている段階で相談にのったり細やかな情報提供をしたりすべきだ」とした上で、「福島に住み続けている人、避難した人、帰還した人。全員が悩みながら選択し決断してきた。それぞれの4年半を認め合い、共有することが一番大事」と訴える。福島を分断しない取り組みが求められている。【小林洋子、喜浦遊】

●今後の居住先に迷い
福島県は避難者の生活状況や支援のニーズを把握するため、昨年から年1回アンケート調査を実施している。今年2月の調査は県内外に避難する5万9746世帯を対象に実施。県外の避難世帯に今後の生活予定を尋ねた質問では自主避難する2689世帯から回答があり、最も多かったのが「現時点では決まっていない」(31.9%)。次いで「現在の避難先に定住したい」(24.9%)、「被災当時と同じ市町村に戻りたい」(19%)、「県内の別の市町村に戻りたい」(5.5%)−−だった。今後の居住先を決めかねている世帯が多く、避難先への定住と福島県内への帰還を希望する世帯がほぼ同数であることが分かる。

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