2015/12/20

福島ツアーに学生モニター 県、旅行客回復のヒントに

2015年12月18日 朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/ASHCX5WMYHCXUGTB00B.html

東京電力福島第一原発事故からまもなく5年を迎えるが、修学旅行や合宿などで福島県を訪れる学生・生徒数は以前の半分にとどまっている。放射性物質の影響に対する不安が保護者や教員の間に根強いためだ。自分で訪問を決められる高専・大学生を呼び込もうと、県は11月、学生を対象にしたモニターツアーを初めて開催した。

原発事故で全町民が避難する福島県浪江町。年中無休が当たり前のコンビニエンスストアだが、日曜日のローソン浪江町役場前店はシャッターが下りている。除染などの作業がなく、客の大部分を占める作業員がほとんど来ないからだ。関西から来た19人、17~23歳の学生による浪江ツアーは、ここから始まった。
浪江駅付近を歩く大学生。住民が戻れないために、
地震による家の傾きがひどくなった=福島県浪江町 
180人以上が津波で流された町内をバスで回る。基礎だけが残る家、津波が襲った時刻で止まったままの時計がある小学校。カメラのシャッター音だけが車内に響く。

駅周辺の家も崩れたままだ。バスを降り、町職員の案内で歩く。原発事故で避難を迫られた2011年3月12日の新聞が店先に積まれていた。「時間が止まってる」。女子学生はつぶやき、涙を流した。

兵庫県明石市の明石高専に通う渡部桂太朗さん(17)が震災発生のニュースをテレビで見たのは、小学校の卒業式の日だ。「僕が中学を過ごし、高専に入った4年半の間、福島の震災は形を残したまま居座っている」。阪神大震災から20年。渡部さんは、小さい頃に身の回りで震災の傷痕を感じなかったと話す。放射線が壁となって復旧作業が遅れがちな福島の避難指示区域と違い、震災直後から傷痕を消す努力ができたからだと言う。

神戸学院大社会防災学科に通う大西恵奈さん(19)は元々、学生の福島訪問を増やすには避難生活を体験する防災キャンプがいいと思っていた。「小さい頃から、震災で被害を受けないための防災を学んできたから」

だが前日、福島の教育旅行プランを考える集まりで福島の高校生が「これから福島はどんどん変わる。今の姿を見ておいてほしい」と言うのを聞き、現地を訪れて少し考えが変わった。「備えはもちろん大事。でも、福島に立って、復興の難しさがやっとわかった」と話す。

母親からは福島に行くのを心配された。もう少したってから行きたいという友だちもいる。だから、保護者が不安に思う気持ちは十分わかる。「でも、テーマパークに行くことが教育旅行? 今の福島で学ぶことは多い」

県は現在、広島や長崎のように、教育旅行で訪れる生徒たちに体験を話してもらう語り部の育成に力を入れている。

だが、若い世代の応募は少ないという。そこで、同世代同士での語らいを通じて福島への理解を広げようと、学校や旅行会社に提案する教育旅行のコンテンツとして被災地の高校生との交流を盛り込むことを検討している。

そんな県にとって、ツアーは県外の人たちの声に直接触れ、アドバイスをもらう貴重な機会だ。「交互に話し合うスタイルと体験をじっくり聞く方法、どちらが勉強になる?」。ツアーの終点となった南相馬市の再生可能エネルギー関連施設では、学生たちに熱心に質問する県職員の姿がみられた。「今後、教育旅行のプランづくりに生かします」(江戸川夏樹)

■放射線量 保護者の不安なお
修学旅行やサークル活動、ゼミの合宿。原発事故前の2009年度、福島県には小学生から大学生まで55万人も県外から訪れていた。事故後の11年度は7万人台まで激しく落ち込み、持ち直した14年度でも25万人と、ようやく半分程度だ。

県によると、スキー旅行と震災学習をかねて福島県を旅行先に選ぶ学校は増えつつあるという。例えば、いわき市は09年度に比べ、14年度は7割以上増加の161校となった。
全県に訪れる学校数では、関東地方の戻りは半分程度だが、中国、四国、九州地方は震災前より増加した。アンケートでは「イメージが変わった」などと感想を記す子どもも多い。県職員は「震災前は歴史がある会津若松市、今は震災学習として沿岸部のいわき市がほとんど」と話す。

それでも、県職員が教育旅行を呼び込もうと県外の校長らの会合に出向くと、「子どもを殺すのかと保護者に言われかねない」と言われることがあるという。

復興が進まない「影」の部分と、にぎわいを取り戻しつつある「光」の部分。「福島のどの部分を見せるべきなのか。課題は大きい」と県職員は話す。

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