2016/01/18

【福島 風評との戦い(下)】「いつまで続ければいいんだ…」 福島のコメ1000万袋を毎年検査  

2016年1月18日 産経新聞
http://www.sankei.com/premium/news/160118/prm1601180004-n1.html

収穫を終えたばかりのコメの袋が、福島県二本松市内の倉庫に運び込まれていた。平成23年3月の東京電力福島第1原発事故後から始まった放射性物質の濃度検査。クレーンでつり上げられた1袋30キロのコメ袋はベルトコンベヤーに載せられ、検査機器にかけられる。その光景は空港の搭乗口で行われる手荷物検査のようだ。

機器に取り付けられた画面には、次々と「○」が表示されていく。放射性物質濃度が検出限界値を下回ったサインで、袋には検査を通過したことを示すシールが貼られた。

平成24年産から毎年行われているコメの全量全袋検査。放射性物質濃度が基準値以下だと「○」が表示される=平成27年11月、福島県二本松市(野田佑介撮影)
「生産者からは『いつまで検査を続ければいいんだ』といわれる。現状でその見通しを示すことはできず、まだ誰の口からもいえないと思う」

二本松市農政課係長の湯田匡史さん(44)は苦渋の表情を浮かべる。

福島県内では24年産から、収穫された全てのコメを調べる「全量全袋検査」を実施している。1年間でその数は1千万袋にも上り、50億円前後の費用がかかっている。国が定める放射性物質濃度の基準値は1キロ当たり100ベクレル。26年産から基準値を超したコメ(自家用を除く)はなく、既に収穫の終わった27年産でも今のところ基準値超えは出ていない。

収穫量は全国4番目となる22年44万5700トンから、23年は35万3600トンに減った。24年36万8700トン、27年36万5400トンと伸び悩んでおり、「福島ブランド」に傷が付いたままだ。

■   ■

コメ以外でもその影響は著しい。県農産物流通課によると、特産の桃は26年時点で、1キロ当たりの価格が全国水準(519円)の約7割(358円)に落ち込んだ。アスパラガスの価格も同様に全国水準(1187円)の約8割(965円)にとどまる。

それでも県内では、福島の農産物を全国の消費者へ浸透させようと試行錯誤を重ねている。首都圏や関西、九州などで県産品のPRに力を入れているが、抜本的な解決策がないのも実情だ。

農業関係者からは「(原発事故で)他県の農産品に取って代わられた。失った販路を取り戻すのは簡単なことではない」との切実な訴えも聞かれる。

県が昨年4月に新たに設けたポスト、風評・風化対策監の野地誠さん(54)は厳しい現実と向き合いながらも先を見据える。

「放射性物質の検査など安全対策を行っていることをアピールし、出荷ルートの回復や新規開拓に向けた取り組みを積み上げていくしかない。原発事故から時間がたち、風化も進んでいる。今後は国内外にどのように情報を発信していくかが課題だ」

■   ■

寒風が吹き始めた昨年12月。ビジネスマンや観光客らでにぎわう東京・銀座に、福島の冬の風物詩が突如、お目見えした。

県北部に位置する伊達地方の特産品として知られる「あんぽ柿」をつくる試みだ。あんぽ柿の特徴はほんのりとした天然の甘さで、「和菓子の味の原点」といわれる。銀座では、柿農家らが皮をむいていぶした約150個の柿を、竹の柱に張ったヒモに一つ一つ丁寧につるした。

「あんぽ柿の存在を広く知ってもらい、風評払拭と消費拡大につなげたい」。伊達市農林業振興公社事務局長の梅津善幸さん(52)はそう期待を込める。

江戸時代から始まったあんぽ柿づくりは原発事故後の2年間、加工を自粛した。約26万本の柿の木の表皮を削るなどして放射性物質の濃度を低減し、国が定める「加工再開モデル地区」に限り再び生産を始めた。

出荷の基準値は国の基準よりさらに厳しい1キロ当たり50ベクレル以下。原料となる柿を生産する農家約1600のうち、現在は4分の3で生産が可能になった。出荷量は加工を再開した25年の約200トンから、27年は原発事故前の75%に当たる1157トンを目指した。

農協や生産者は県と連携し、柿の収穫から皮むきなど、あんぽ柿づくりを体験できるツアーを企画し、県内外から人を呼び込み安全性の周知を図る。銀座での試みもその一つだ。

JA伊達みらい指導販売課主査の鈴木優志さん(30)は「まずはあんぽ柿を知ってもらい、一人でも多くリピーターをつくらないと風評払拭は難しい。消費者にはまだ、目に見えない不安があるのも事実だ」と厳しい表情で話していた。

0 件のコメント:

コメントを投稿