2016/08/09

ロシア語圏政策研究者 尾松亮さんインタビュー

2016年8月9日 カタログハウス
https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/160809/

「原発事故の被災者の権利は、法律によって保障されるべきです」

2012年の成立当初、多くの被災者が期待を寄せた「原発事故子ども・被災者支援法」ですが、現在に至るまで、法の趣旨に沿った施策はほとんどが実行されていません。「チェルノブイリでは、事故後30年が経った今も法律が被災者の権利を保障する基盤となっている」と語る、ロシア語圏政策研究者の尾松亮さんにお話を伺いました。
取材・文/片山幸子(エディ・ワン) 撮影/大倉琢夫



被災者の権利と国の責任を法律で規定する意味。

――ロシア語圏の政策研究者である尾松さんは福島第一原発事故以降「チェルノブイリ法」の研究を続けていますね。

尾松 ええ。私の主な研究テーマは「チェルノブイリ法」の成立過程と実際の運用についてです。「チェルノブイリ法」の研究者として、2012年には「原発事故子ども・被災者支援法」(以下「支援法」)の立法にも関わりました。

──チェルノブイリ3国(チェルノブイリ原発事故主要被災3国=ロシア・ウクライナ・ベラルーシ)と日本とで被災者保護制度を比べた場合、何が一番大きな違いとなるのでしょうか。

尾松 まず挙げられるのは、「どこが被災地か」そして「誰が被災者か」の明確な基準の有無でしょう。
 「チェルノブイリ法」では、土壌汚染度と年間推定被ばく線量を基準とし、被災地が4つのゾーンに分けられています。その上で、各ゾーンの住民とそのゾーンからの避難者、リクビダートル(原発事故後、収束作業に従事した人々)を被災者と認定しているのです。




※『新版 3・11とチェルノブイリ法』尾松亮著/東洋書店新社 より
(1キュリー/㎢は、37000ベクレル/㎡に置き換えられる。ちなみに、日本の「放射線管理区域」〈一般の人の立ち入りが制限される場所〉の基準は、4万ベクレル/㎡である。)


ところが「支援法」には、そうした明確な基準がない。「支援法」の具体的な運用方法などを定める「基本方針」では、支援対象地域の基準は「年間20ミリシーベルトを下回るが相当な線量が広がっていた地域」とされました。本来なら国会で定めるべき「基本方針」を閣議決定にゆだねたために、基準があいまいにされてしまった。「支援法」は自民党から共産党まで、全会一致の議員立法として成立させました。しかし非常に悔しいことに、基準を定めずに法律を通したことが尾を引いているのです。
結局、支援対象地域は福島県内の33市町村に限定されたうえ、昨年8月には「支援対象地域は縮小又は撤廃することが適当となる」と改定されました。被害の過小評価どころか、被害そのものを終わったこと捉えているに等しい。

──こうした現状を目の当たりにして、「支援法」の必要性を疑問視する声もあがり始めています。

尾松 確かに、運用上の問題は多々ある。しかし、だからといって被災地と被災者を明確に規定し、国の責任を明らかにする法律の必要性が否定できないことは、チェルノブイリの経験からも明らかです。

政府が被災者の権利保護に消極的なのは、チェルノブイリでも同じ。事故後30年を迎え、その動きはますます露骨になってきました。例えば昨年、ウクライナでは一部地域の被災地認定が取り消されました。また同じく昨年、ロシアでも被災者の意見を無視した被災地認定の見直しが行われました。しかし両国の被災者たちは「チェルノブイリ法」を根拠に国の不正を裁判所に訴えた。ウクライナでは、被災者による憲法裁判所への提訴も後押しになり、一度取り消された被災者の権利が大部分回復されています。

被災者保護にかかるコストは国家財政を圧迫するので、政府は事故の対応から手を引きたがります。そのうえ、事故から時間が経って社会の中で事故のインパクトが薄まれば、被災地認定を見直して補償を打ち切るハードルはぐっと低くなる。だからこそ、法に被害を記憶させ、国をしばる必要があるのです。

日本では現在、訴訟や署名の提出などを通して被災者自身が「支援法」の趣旨に沿った施策の実現を求めています。その声がある以上、「支援法」に息を吹き返す道をあきらめるわけにはいきません。

「今は決めない」権利が開かれた選択を保障する。



──強制避難指示区域の扱いもまた、日本とチェルノブイリとで大きく異なります。

尾松 そうですね。国による避難指示は、チェルノブイリでは主に原発30キロ圏に、日本では主に20キロ圏に出されました。どちらも、原発からの距離を根拠に避難指示が出されたという点は同じです。ただ、その後の国の対応は大きく異なる。
チェルノブイリで強制避難指示のあった30キロ圏は、未だに住民の帰還はおろか、立ち入りも厳しく制限されています。線量の下がった地域もあるのですが、収束作業中の原発でのアクシデントの可能性や、使用済み核燃料の保管庫の近くに住民を帰還させた場合の被ばくリスクが考慮されているのです。
一方日本では、事故後5年を待たずして年間被ばく線量が20ミリシーベルトを下回った地域から順に、避難指示解除が進められています。収束作業中の原発の近くで生活するリスクなどは考慮されていない。この6月にも葛尾村で避難指示が解除されました。同じ時期に、すでに一部で避難指示が解除されていた川内村でも、残っていた避難指示が解除されました。
将来の帰還の可能性を残すこと自体に、私は反対しません。生まれ育った家を、フェンス越しに眺めることしかできない人の気持ちは想像するに余りあります。でも、日本で行なわれている避難指示の解除は、あまりにも早急ではないでしょうか。

──避難指示の解除は、帰還の強制ではないと国は主張します。

尾松 確かに、強制はしていない。でも、解除終了後一定期間を経た後、賠償が打ち切られます。そうなれば望まぬ帰還を強いられる人もいるでしょう。それでも避難を継続すれば、帰れるのに帰らない人とみなされる。避難の原因である被ばくリスクがなくなったわけではないにもかかわらずです。
そもそも、たった一度しか決断できない、しかも「帰還」か「避難」のどちらかしか選択できないというのは、普通の暮しのものさしからかけ離れていますよね。事故から30年が経ったチェルノブイリにも、子どもの独立を機に帰還するというケースや、避難をしながら時々地元に帰ってきて親族の世話や家の手入れをしているというケースはたくさんある。
ところが「チェルノブイリ法」では、一度避難した被災者が元いた地域に、やがて帰還することを想定した支援策は定められていません。むしろ、汚染地域への帰還は禁止されています。実際に被災者の状況を見て、それはちょっと厳しいのではないかと「支援法」立法の際には帰還権を盛り込まむように提案しました。また、「行ったり来たりモデル」という言葉で、帰還と避難とがゆるやかにつながり合う状態の必要性を訴えてきたのですが……。あるとき、もっとしっくりくる言葉に出会いました。
現在も避難生活の続く富岡町の住民が、自分たちの今後を考えるタウンミーティングを重ねる中で「今は決めない」という言葉を生み出したのです。これを聞いて、すごく腑に落ちましたね。

──「今は決めない」、ですか。

尾松 私なりに解釈するなら「将来帰るかもしれないし、帰らないかもしれない。それを今は決めないけど、時間をかけながら、自分のタイミングで決断したい」。当事者の実感のこもった言葉ですよね。
もちろん、制度や法律がすべての選択をカバーできるわけではありません。でも家族や地域のコミュニティ、生業などを大事にする被災者の思いを否定せず、あらゆる選択の幅を受け止める土台はあった方がよいと思うのです。
私たちが忘れてはいけないのは、被災者は原発事故によって理不尽をつきつけられた人たちであり、この事故には加害者がいるということ。加害者の都合で被災者の選択肢が限定される現状はおかしい。理不尽をつきつけられた人たち自身が、自ら望む形を時間をかけて見つけていくことを、可能にする制度が必要です。


被災者同士の認め合いを成立させるために。


──今年の春には、原発事故から30年を迎えたチェルノブイリ被災地の視察に行ったそうですね。

尾松 ロシアのノボズィプコフという町へ行きました。ベラルーシやウクライナの国境近くに位置するこの町は、「チェルノブイリ法」によって、希望する住民には移住権が認められる「退去対象地域」に指定されています。
ノボズィプコフの学校を訪ねると、子どもたち同士で相談しながら、食品を「被ばくリスクがあるか、ないか」で仲間分けする授業が行なわれていました。「バナナは被ばくのリスクがない」と発言した子にその理由を尋ねると、「だって、汚染地域では栽培されていない」という答えが返ってきて興味深かったですね。ここで優先されているのは、「セシウムはどんな植物に蓄積されやすいか」といった科学的な知識より、子どもたちが市場で買い物をしたり、菜園の野菜を穫るときに役立つ実践的な知識です。教師は、被災地で生きるのに必要な知識を子どもたちに教えるため、地元の被災者団体と協同で副読本を作ったり、クイズ形式の授業をしたりと工夫していました。
ちょっと意地悪な質問なのですが「事故後30年も経ったのに、なぜそこまでする必要があるのですか」と尋ねると、教師は「だって私たち、ここに住んでいるのよ」と、こともなげに言いました。「自分たちは被災者だ」という自覚が、自然な形で社会になじんでいるのです。こうした環境で、子どもたちは「ここは被災地で、自分たちには被災者としての権利がある」という意識を共有していきます。
いうまでもなく、その出発点は「チェルノブイリ法」です。個人の価値観によってではなく、みんなに関係のある法律に基づく権利として、被ばくを避ける行動やそのための教育が社会の中で受け入れられているのです。
だからこそ、被災地から避難した人たちに対して「ヒステリーだ」とか「復興に水をさす」という視線が向けられることはありません。被災者同士の認め合いは、「チェルノブイリ法」がもたらしたかけがえのない財産です。
「避難指示区域以外から新たに避難する状況にはない」と、避難指示のない地域のリスクそのものが否定されている日本では、被ばくを避けたいという意思が個人の意思に還元されてしまうため、被災者同士の認め合いを育む余地が少ない。そうした背景が、避難や保養を躊躇させてしまうこともあります。
それでも、自分の経済的快適さや地域の人間関係を犠牲にしてでも、子どもを守るために行動している人たちがいます。そしてその行動は、避難だけに限りません。地域の汚染状況を調べたり、子どものリスクをできる限り減らそうと、福島県境を超えて広がった放射能汚染地域に住みながら、何ができるか考え続けている人たちもいます。そういう人たちがいるから、この社会にまだ多少の希望が持てるのです。
その人たちが悩みながらそれぞれに決断したことが忘れられないためにも法律は必要だし、被ばくを避けるための行動や選択は、できる限り法律で後押しされるべきです。チェルノブイリの歩みを、ただの前例にはしたくないですね。
私も、社会的立場やキャリアよりも、大切なものがあると信じて動きます。



尾松亮(おまつ・りょう)東京都生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程修了後、通信社や民間シンクタンクに勤務。2011年の東京電力福島第一原発事故後は、チェルノブイリの被災者保護制度の紹介と政策提言に取り組む。2012年には政府のワーキングチームで「子ども・被災者支援法」の策定に向けた作業に参加。著書に『新版 3・11とチェルノブイリ法』、『原発事故 国家はどう責任を負ったか』(共著、共に東洋書店新社)がある。

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