2016/09/10

<山形の原発避難者>再出発に希望を抱く

2016年9月10日 河北新報
http://www.kahoku.co.jp/special/spe1090/20160910_02.html

◎そして、これから(5完)ふるさと


「やっぱり家族で一緒に暮らすのが一番。迷ったけど、戻って来て良かった」。米沢市で母子避難していた佐藤美紀子さん(42)は、そう実感している。


一人娘の春香さん(7)が昨春、小学校に入学したのを機に、約3年半ぶりに地元の福島市に戻った。昨年12月には一軒家を購入し、家族3人で暮らしている。


夫婦とも福島市で生まれ育ち、娘を授かった。東京電力福島第1原発事故が発生し、当時2歳の春香さんの身を案じ、夫(44)が強く避難を勧めた。「それでもいつかは必ず帰ってくると考えていた」。佐藤さんは話す。

<100%安全はない>
最も懸念していた放射線量の数値は思っていたより高かったが、「福島で暮らす以上、100%安全はないと思う。だったら割り切って生活するしかない」。


久しぶりに戻った地元での生活は快適な思いばかりではない。避難の経験が原因で、佐藤さんを時折不快にさせる。「好ましく思わない人たちがいて、陰口のようなことを言われたりする。でも、そんなこと気にしない。放っておくだけ」と「われ関せず」を貫く。


米沢での避難生活中、佐藤さんはパートで働いたり、ボランティア活動に参加したり積極的に行動した。その縁で帰還後も定期的に米沢を訪れ、春香さんはミュージカル団体で楽しく過ごしている。「貴重な経験が今も生きている」



福島市から米沢市に毎週末通い、一人娘の春香さん(右から3人目)の
稽古を見守る佐藤さん(左端)

二本松市から子ども2人と山形市に母子避難している鈴木明子さん(36)=仮名=は来年3月、福島に戻ることに決めている。毎週末、片道1時間半かけて車で通ってくれる夫(36)に、いつまでも負担を強いるわけにはいかない。

来春、長女(11)が中学に入学する。「福島県が住宅無償提供を一方的に打ち切るのは納得いかないけど、永久に続くはずはないと思っていた。打ち切りが自立のきっかけになる面もある」と前向きに捉える。

<家族一緒に前へ>
子どもの通学や利便性などを考え、福島市にある鈴木さんの実家で夫も共に暮らす予定だ。地元なので友達も多い。「子どもたちに負担を掛けるかもしれないけど、家族一緒に時間をかけてまた一つ一つ、つながりをつくっていければいい」


佐藤さんも鈴木さんも「これまで受けた支援は決して忘れることができない。本当にありがたかった」と感謝の言葉を繰り返す。原発事故以来のふるさとでの再出発に希望を抱く。
(米沢支局・相原研也、山形総局・阿部萌、福島総局・高橋一樹)

●放射能測定活用を
<福島市に住む薬剤師で生活評論家の境野米子さん(68)の話>
京都市や長野県松本市など遠方に自主避難した多くの母親と話した。故郷の福島を懐かしく思わない人はいない。いつかは帰りたいと思いつつも子どもの将来を考え、日々迷っている。5年たてば不安が薄れるというものではない。一方で、食料品の放射能測定が無料でできるなど、福島での検査体制は充実している。戻る人は不安解消に役立ててほしい。


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