2016/09/09

<山形の原発避難者>安心して暮らしたい

2016年9月9日 河北新報
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201609/20160909_53003.html


◎そして、これから(4)とどまる

心のもやもやが吹っ切れた。8月、小学3年の一人息子(8)と4カ月ぶりに福島県郡山市の自宅に帰った時のことだ。


東京電力福島第1原発事故以来、母子避難を続けている山形県米沢市の主婦田中洋子さん(44)=仮名=は、郡山市で単身生活している夫(47)に打ち明けた。「来年3月に帰るのはタイミングがちょっと違うと思う。もうしばらくあっち(米沢)で暮らす」


福島県が本年度限りでの住宅無償提供打ち切り方針を示したため、それまで自宅に戻ることを示唆してきた。米沢に毎週通う夫も楽しみにしていたはずだ。近くに住む義理の両親の手前、夫に肩身の狭い思いをさせていると感じて心苦しかった。

<悩みは尽きない>
だが、目の前で話を聞いた夫は嫌な顔ひとつしなかった。「不安がある以上、無理に戻って来る必要はないよ」とも言ってくれた。東日本大震災の年に母子避難を始めて以来、夫は理解し続けてくれる。


「戻るか、とどまるか。ずっと迷っていた。そろそろ夫に言わなくちゃ、決めなくちゃって胃が痛くなるほど思っていたから、ずいぶん気持ちが楽になった」と田中さんは明かす。


不安が全て解消されたわけではない。夜は今でも熟睡できずにいる。「子どものことを考えるとまだ戻らないほうがいいし、こっちの環境にも慣れてきた。でも…」。経済的負担や母親1人で担い続ける子育ての今後を考えると、悩みは尽きない。

<将来を考えたら>
ふるさとに戻らず、避難した地に定住することを決めた家族もいる。福島県南相馬市出身の西内尚哉さん(29)、智美さん(30)夫妻だ。2年前に米沢市で一戸建て住宅を購入し、小学4年の長男優斗さん(9)と3人で暮らしている。


西内さん夫妻は口をそろえる。「不安と隣り合わせで暮らすより、安心して過ごせる環境が大切だと思った」。中学の同級生だった2人は生まれも育ちも南相馬市で、震災まで市外で暮らした経験がなかった。


震災直後に共に避難した親兄弟たちは既に帰還した。「取り残されたような気持ちでとても寂しかった」と智美さんは振り返る。


それでも、新しい環境に慣れて伸び伸び過ごす優斗さんの成長ぶりに「子どもの将来を考えたら、ベストの選択だった」と言い切れる。将来は智美さんの両親を米沢に呼び寄せ、2世帯で暮らすことにしている。


「雪はすごいけど、緑がきれいで静かな環境。自分たちのふるさとに似ていて、とても気に入っている」

マイホームを手にし、避難先の米沢市への定住を決めた西内さん一家

●第三者交え相談を
<実践女子大人間社会学部准教授山根純佳さん(40)の話>
避難先での生活に慣れてきたところで、不安を抱える福島の生活に戻ることをためらう人がいるのは当然だ。再度の転居や転校によって、子どもに負担をかけることに自責の念を抱く親もいるだろう。専門家やアドバイザーなど第三者を交え、子どもと一緒に今後の生活を話し合う場があれば、親の心の負担軽減につながるのではないか。
          ◇         ◇         ◇
東日本大震災から11日で5年半になる。東京電力福島第1原発事故では、多数の福島県民が避難生活を余儀なくされた。隣接する山形県では、今なお2778人(1日現在)の避難者が暮らし、家族、親族らと離れ離れの生活を送っている人たちもいる。福島県は自主避難者の住宅無償提供を2017年3月で打ち切る方針を示し、多くの家族が岐路に立つ。生活の「これから」を見詰める当事者たちの思いは複雑に入り乱れている。

(米沢支局・相原研也、山形総局・阿部萌、福島総局・高橋一樹)

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