2016/11/24

【報道まとめ5】横浜/避難先でいじめ生徒 両親会見まとめ


避難先でいじめ生徒「絶対に死選ばないで」 両親が会見

2016年11月23日 朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/ASJCR54JYJCRULOB00J.html

福島第一原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学1年の男子生徒(13)がいじめを受けて不登校になった問題で、生徒の両親が23日、市内で記者会見を開き、当時の心境や生徒の様子などについて語った。

男子生徒は今年5月からフリースクールに通い始め、休みの日には、両親と外出したり、自転車に乗ったりしているという。父親は「『学校(フリースクール)楽しい』『校外学習に行く』といった子どもの声がうれしい」と話した。

両親によると、男子生徒が小学6年の時に「いままでなんかいも死のうとおもった」などと書いた手記が報道されると、恥ずかしがったこともあったという。書いた時は思った感情のままノートを破って書き殴ったが、現在は冷静に見ることができているといい、男子生徒は「全国でいじめを受けてたくさん苦しんでいる人がいるけど、助けてくれる人がいるから絶対に死を選ばないで欲しい」と親によく話すという。

また、男子生徒は父親に対し、「仕事を変えて頑張っているから、僕も(福島に)戻ろうとか言わない。こっちで頑張る」と話しているという。

代理人の弁護士によると、男子生徒と家族は小学2年の2011年8月に自主避難。直後から転校先の市立小で、名前に「菌」を付けられて呼ばれるなど、複数の児童からいじめを受け始めた。小学5年の14年5月ごろには、「(原発事故の)賠償金をもらっているだろう」と言われ、同級生らと遊園地やゲームセンターに行き、遊興費や飲食代など総額約150万円を負担した。

母親は「福島から避難してきた人たちはいっぱいもらっているだろうと思っている。福島=賠償金になっていて、あきらめるしかないという思いもある」と話した。また、加害児童に対して「実家でどういった話をしているのか気になる。認識をきちんと持った上で話をして欲しい。賠償金という感覚は親しかなく、子どもにはないと思う」と語った。

実際には、自主避難でもらった賠償金は「数十万円程度」で手元には残っていないという。男子生徒が持ち出したお金は、親族から生活費のために借りていたもので、賠償金は含まれていなかったという。

会見は両親が報道陣の求めを受け、匿名を条件に応じた。(大森浩司)



■男子生徒の両親が代理人を通じて15日に発表した「声明」

提出された(問題を調査した第三者委員会の)答申内容を見て、いじめの事実についても、学校・教育委員会の対応についても想像以上の答申内容だと感じております。

ここまで尽力して頂きました第三者委員会の方々には感謝のお言葉しかありません。

子供は、いじめから逃れたい一心でお金を出していたようです。お金を出すことでいじめられなかったようです。子供としては精一杯の防衛行為だったと思います。

答申には書かれておりませんが、「鬼ごっこの時、鬼をほとんどいつもやらされていた」ということも子供から聞きました。このことも付け加えておきたいです。

私が最も悔しいことは、子供が5年生になり、お金を持ち出していた初期段階で、学校はその事実を把握していたにもかかわらず、電話1本の連絡もして頂けなかったことです。

当然、私のお金の管理が不十分ではありましたが、初期段階で連絡して頂ければ、被害が拡大しなかったと思います。なぜ電話1本もしてくれなかったのか。

その後、学校・教育委員会の対応がままならず、時間ばかり経過し、私達は精神的に追い込まれました。それ以上に子供が追い込まれました。時間がかかりすぎました。

私達は横浜という地には知り合いもいない状況でしたが、私達の当時の状況を見かねてお力をお貸しして頂いた方々にはこの場を借りてお礼申し上げます。その方々のお力がなければ、黒沢弁護士、飛田弁護士にも出会えなかったことでしょう。

完全に不登校になってからは外に出ることすら怖く引きこもりでしたが、現在子供はフリースクールに通っています。一人になるのはまだ怖いようで妻が送迎してますが、教育を受ける権利を侵害され、今は勉強もままならない状況ですが、元気にフリースクールへ通えています。今は、それだけでいいと思っています。

震災・原発事故後、職を失い、自主避難しましたが、賠償金なども自主避難者はほとんどもらえず、時間をかければ住宅支援なども受けられたかもしれませんが、いつになるか分からない状況だったため、できるだけ早い自力再生、何事もなかった生活に戻そう。その思いだけだったのにこんな事になるとは…子供はSOSを出していたと思うんですが、それに対応出来なかった事は親として情けないし、ごめんね、としか言えません。後に、死にたいと思っていたのにいろいろ考え生きる道を選択してくれたこと知り、本当にありがとうの思いでいっぱいです。

今の本心として、加害者・学校・教育委員会には、訴訟をしてでも時間を返して欲しいと訴えたいです。しかしながら、傷つきすぎてしまったのに、訴訟をして子供に当時の再度の聞き取り、取り調べ等をして、当時の嫌な感情を思い出させたくないという気持ちから、精神的な部分の回復を優先したい気持ちでおります。

子供には卒業式、修学旅行、その他学校行事に参加させてやれませんでした。子供はそんなことを口にしませんが、今は小学生の時にできなかったことを子供にさせてあげたい。子供と接する時間を多くとって、楽しい思いをさせてやりたい。ただそれだけです。

最後にここに至るまで本当に大変でした。時には、当時の副校長に心ないことを言われたこともあり、身近に関わって支援して下さる方々しか私共の思いを理解して頂けませんでした。学校・教育委員会はここまでしないと動いてくれないのか?の思いしかありません。報道が出てから数日、世論が味方についてくれたと感謝の気持ちしかありません。この場を借りてお礼申し上げます。
以上




いじめ「苦しいけど死を選ばないで」 原発避難、横浜の生徒

2016年11月24日 朝刊 東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201611/CK2016112402000132.html

東京電力福島第一原発事故で福島県から横浜市に避難した中学一年の男子生徒(13)の市立小学生時代のいじめ問題で、生徒の両親(いずれも四十代)が二十三日、初めて記者会見した。母親は、生徒が全国でいじめに苦しむ子どもたちに向け「絶対助けてくれる大人はいる。苦しいけど死を選ばないで、と伝えてほしい」と話したことを、目を潤ませて語った。

父親は、生徒が遊興費として求められたとされる計百五十万円について「福島に一時帰宅した際、いろいろ精算するため、親戚から借りたお金だった」と説明。「お金の管理が悪かったのは反省している。ただ、お金がなかったら息子はどうなっていたのか…」と、いじめから逃れるためにお金に手を出さざるを得なかった生徒を察した。

母親は小学校の対応について「(いじめ調査の)第三者委員会が資料を学校ではなく、私たちの所に取りに来た。学校には資料が何もないのかと思った」と批判。市教育委員会は本紙の取材に「保管場所が分からなくなっただけで、処分はしていない」と釈明した。

生徒は現在、フリースクールに通っている。父親は「休日には『自転車に乗りたい』と言ってくる。外に出るのが怖い気持ちも半分あると思うが、そういう言葉が出てくるのはうれしい」と話した。

父親は横浜に避難してからの五年間を「学校や市教育委員会に不信感が募るばかりだった」と振り返った。「子どもは『お父さんも仕事見つけて頑張っているから、僕も頑張る』と。こっち(横浜)で再生したい気持ちが強い」と語った。




横浜・原発避難いじめ「対応すべてが遅い」 両親、学校側に怒り

2016年11月24日 毎日新聞東京朝刊
http://mainichi.jp/articles/20161124/ddm/041/040/051000c

原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学1年男子生徒がいじめを受け不登校になった問題で、生徒の40代の両親が23日、報道陣の取材に初めて応じた。事態を1年以上も放置した小学校や市教育委員会の対応に「すべてが遅い。訴えを聞いてもらえず、不信感ばかりが募った」と怒りをぶつけた。【水戸健一】

両親は「子どもは教育を受ける権利を侵害された。友達と楽しい時間を過ごすこともできず悔しい」と訴えた。いじめを受けていた当時の様子について「自殺しても仕方のない内容で、子どもはボロボロになった」と明かした。一方で「『死んだら何も言えない。助けてくれる大人が必ずいる』との子どもの言葉を伝えたい」と子の思いを代弁した。

同級生から「(原発事故の)賠償金があるだろ」と金銭を要求され始めたのは2014年5月。父親はいじめ防止対策推進法の条文を調べ、約150万円に上る金銭授受は「重大事態」にあたるとして「法律に基づいて対応してほしい」と学校に訴えた。しかし、学校は重大とは受け止めなかった。逆に「生徒が率先して金を払っている」という前提で話をされたこともあるといい、父親は「八方ふさがり。無力感しかなかった」と悔しさをにじませた。

「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだから、つらいけど、ぼくはいきるときめた」。公表された生徒の手記は小学6年だった15年7月、母親の目の前で書いたという。当時すでに不登校となっており、母親は「(ショックで)言葉が出なかった。最悪の事態を考え、常に一緒にいるようにした」と振り返った。机にあったノートをちぎり、気持ちをぶつけたため文字が乱れたという。

両親によると生徒は原発事故後に性格や考え方に変化が表れた。「親に甘える普通の子だったのに、耐えるようになった。転入後もいろいろなことを言えなかったのだろう」と推し量る。自主避難した子どもたちへの配慮は転入直後こそあったが、4年生以降はなくなった。母親は「災害に遭った子どもの心理を調べたことがないのか、と担任に尋ねたら『全くしていない』と答えた」と肩を落とす。

市教委は今もいじめの詳細を公表していない。母親は「被害者、加害者側の子の特定を避ける配慮でなく、問題を隠匿しようとする学校、市教委の自己保身にしか見えない」と言った。生徒は現在フリースクールに通い、休日には「自転車に乗りたい」などと話すようになったという。

両親は我が子の言葉を紹介した。「自分と同じようにいじめを受けている人たちには、苦しくても生きてほしい、と話している」
避難者「社会の無理解感じる」

原発事故の自主避難者は全国に数万人いるとされるが、国も福島県も定義せず正確な人数は不明だ。各地の避難者たちは今回のいじめ問題を我が事と受け止めている。「大人社会に存在する弱者への攻撃」が影響しているとの指摘もある。

「子どもの命を守るために避難したのに、いじめで自殺なんかされたら救われない」

福島県の中通り地域から東京都内に自主避難している女性(43)はこぼした。

原発事故の2日前に妊娠が分かり、関東地方を転々と避難する中で長男を出産。福島への帰還を巡って夫と対立が深まり、2014年夏に離婚した。現在は都営住宅に住む。自主避難の場合、東電による賠償は1世帯あたり最高でも150万円程度。17年3月には住宅提供が打ち切られるため、生活への不安は強まるばかりだ。

女性は「原発避難に対する社会の無理解を感じる。特に自主避難は明かしても良いことがないので、周囲に言えない人が多い。5年半が過ぎても事故は終わっていないし、避難を続けざるを得ないことをもっと知ってほしい」と訴えた。

2人の娘を連れ福島県郡山市から新潟市に母子避難している磯貝潤子さん(42)も「ショックだった。自分だけが我慢すればいいと思っていたのに、子どもまで嫌な思いをするようでは、何のために避難したか考えてしまう」と、今回の問題に心を痛めている。「子どもが嫌なことを言われたら、間違ったことはしていないと相手に言うしかない。腹は決まっているけど、全て自己責任にされることに抵抗がある」と複雑な心境を明かした。【日野行介】

いじめを巡る経過
2011年3月 東日本大震災が発生
   8月 生徒が横浜市の市立小に転校、名前に菌をつけて呼ばれるいじめが始まる
2012年6月 10月まで不登校に
2014年5月 「(原発事故の)賠償金があるだろ」と遊興費に金銭を要求される。
      再び不登校に
   6月 校長が金銭のやり取りを市教委に報告
   7月 保護者が神奈川県警に相談
2015年12月 保護者が市教委にいじめ防止対策推進法に基づいた調査を申し入れ
2016年11月 市教委の第三者委員会が報告書をまとめる
          ※第三者委員会報告書などに基づく







「対応すべてが遅い」 両親、学校側に怒り




 原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学1年男子生徒がいじめを受け不登校になった問題で、生徒の40代の両親が23日、報道陣の取材に初めて応じた。事態を1年以上も放置した小学校や市教育委員会の対応に「すべてが遅い。訴えを聞いてもらえず、不信感ばかりが募った」と怒りをぶつけた。【水戸健一】
     両親は「子どもは教育を受ける権利を侵害された。友達と楽しい時間を過ごすこともできず悔しい」と訴えた。いじめを受けていた当時の様子について「自殺しても仕方のない内容で、子どもはボロボロになった」と明かした。一方で「『死んだら何も言えない。助けてくれる大人が必ずいる』との子どもの言葉を伝えたい」と子の思いを代弁した。
     同級生から「(原発事故の)賠償金があるだろ」と金銭を要求され始めたのは2014年5月。父親はいじめ防止対策推進法の条文を調べ、約150万円に上る金銭授受は「重大事態」にあたるとして「法律に基づいて対応してほしい」と学校に訴えた。しかし、学校は重大とは受け止めなかった。逆に「生徒が率先して金を払っている」という前提で話をされたこともあるといい、父親は「八方ふさがり。無力感しかなかった」と悔しさをにじませた。
     「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだから、つらいけど、ぼくはいきるときめた」。公表された生徒の手記は小学6年だった15年7月、母親の目の前で書いたという。当時すでに不登校となっており、母親は「(ショックで)言葉が出なかった。最悪の事態を考え、常に一緒にいるようにした」と振り返った。机にあったノートをちぎり、気持ちをぶつけたため文字が乱れたという。
     両親によると生徒は原発事故後に性格や考え方に変化が表れた。「親に甘える普通の子だったのに、耐えるようになった。転入後もいろいろなことを言えなかったのだろう」と推し量る。自主避難した子どもたちへの配慮は転入直後こそあったが、4年生以降はなくなった。母親は「災害に遭った子どもの心理を調べたことがないのか、と担任に尋ねたら『全くしていない』と答えた」と肩を落とす。
     市教委は今もいじめの詳細を公表していない。母親は「被害者、加害者側の子の特定を避ける配慮でなく、問題を隠匿しようとする学校、市教委の自己保身にしか見えない」と言った。生徒は現在フリースクールに通い、休日には「自転車に乗りたい」などと話すようになったという。
     両親は我が子の言葉を紹介した。「自分と同じようにいじめを受けている人たちには、苦しくても生きてほしい、と話している」

    避難者「社会の無理解感じる」

     原発事故の自主避難者は全国に数万人いるとされるが、国も福島県も定義せず正確な人数は不明だ。各地の避難者たちは今回のいじめ問題を我が事と受け止めている。「大人社会に存在する弱者への攻撃」が影響しているとの指摘もある。
     「子どもの命を守るために避難したのに、いじめで自殺なんかされたら救われない」
     福島県の中通り地域から東京都内に自主避難している女性(43)はこぼした。
     原発事故の2日前に妊娠が分かり、関東地方を転々と避難する中で長男を出産。福島への帰還を巡って夫と対立が深まり、2014年夏に離婚した。現在は都営住宅に住む。自主避難の場合、東電による賠償は1世帯あたり最高でも150万円程度。17年3月には住宅提供が打ち切られるため、生活への不安は強まるばかりだ。
     女性は「原発避難に対する社会の無理解を感じる。特に自主避難は明かしても良いことがないので、周囲に言えない人が多い。5年半が過ぎても事故は終わっていないし、避難を続けざるを得ないことをもっと知ってほしい」と訴えた。
     2人の娘を連れ福島県郡山市から新潟市に母子避難している磯貝潤子さん(42)も「ショックだった。自分だけが我慢すればいいと思っていたのに、子どもまで嫌な思いをするようでは、何のために避難したか考えてしまう」と、今回の問題に心を痛めている。「子どもが嫌なことを言われたら、間違ったことはしていないと相手に言うしかない。腹は決まっているけど、全て自己責任にされることに抵抗がある」と複雑な心境を明かした。【日野行介】

    いじめを巡る経過

    2011年 3月 東日本大震災が発生
          8月 生徒が横浜市の市立小に転校、名前に菌をつけて呼ばれるいじめが始まる
    2012年 6月 10月まで不登校に
    2014年 5月 「(原発事故の)賠償金があるだろ」と遊興費に金銭を要求される。再び不登校に
          6月 校長が金銭のやり取りを市教委に報告
          7月 保護者が神奈川県警に相談
    2015年12月 保護者が市教委にいじめ防止対策推進法に基づいた調査を申し入れ
    2016年11月 市教委の第三者委員会が報告書をまとめる
     ※第三者委員会報告書などに基づく


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    Copyright 毎日新聞


    「対応すべてが遅い」 両親、学校側に怒り




     原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学1年男子生徒がいじめを受け不登校になった問題で、生徒の40代の両親が23日、報道陣の取材に初めて応じた。事態を1年以上も放置した小学校や市教育委員会の対応に「すべてが遅い。訴えを聞いてもらえず、不信感ばかりが募った」と怒りをぶつけた。【水戸健一】
       両親は「子どもは教育を受ける権利を侵害された。友達と楽しい時間を過ごすこともできず悔しい」と訴えた。いじめを受けていた当時の様子について「自殺しても仕方のない内容で、子どもはボロボロになった」と明かした。一方で「『死んだら何も言えない。助けてくれる大人が必ずいる』との子どもの言葉を伝えたい」と子の思いを代弁した。
       同級生から「(原発事故の)賠償金があるだろ」と金銭を要求され始めたのは2014年5月。父親はいじめ防止対策推進法の条文を調べ、約150万円に上る金銭授受は「重大事態」にあたるとして「法律に基づいて対応してほしい」と学校に訴えた。しかし、学校は重大とは受け止めなかった。逆に「生徒が率先して金を払っている」という前提で話をされたこともあるといい、父親は「八方ふさがり。無力感しかなかった」と悔しさをにじませた。
       「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだから、つらいけど、ぼくはいきるときめた」。公表された生徒の手記は小学6年だった15年7月、母親の目の前で書いたという。当時すでに不登校となっており、母親は「(ショックで)言葉が出なかった。最悪の事態を考え、常に一緒にいるようにした」と振り返った。机にあったノートをちぎり、気持ちをぶつけたため文字が乱れたという。
       両親によると生徒は原発事故後に性格や考え方に変化が表れた。「親に甘える普通の子だったのに、耐えるようになった。転入後もいろいろなことを言えなかったのだろう」と推し量る。自主避難した子どもたちへの配慮は転入直後こそあったが、4年生以降はなくなった。母親は「災害に遭った子どもの心理を調べたことがないのか、と担任に尋ねたら『全くしていない』と答えた」と肩を落とす。
       市教委は今もいじめの詳細を公表していない。母親は「被害者、加害者側の子の特定を避ける配慮でなく、問題を隠匿しようとする学校、市教委の自己保身にしか見えない」と言った。生徒は現在フリースクールに通い、休日には「自転車に乗りたい」などと話すようになったという。
       両親は我が子の言葉を紹介した。「自分と同じようにいじめを受けている人たちには、苦しくても生きてほしい、と話している」

      避難者「社会の無理解感じる」

       原発事故の自主避難者は全国に数万人いるとされるが、国も福島県も定義せず正確な人数は不明だ。各地の避難者たちは今回のいじめ問題を我が事と受け止めている。「大人社会に存在する弱者への攻撃」が影響しているとの指摘もある。
       「子どもの命を守るために避難したのに、いじめで自殺なんかされたら救われない」
       福島県の中通り地域から東京都内に自主避難している女性(43)はこぼした。
       原発事故の2日前に妊娠が分かり、関東地方を転々と避難する中で長男を出産。福島への帰還を巡って夫と対立が深まり、2014年夏に離婚した。現在は都営住宅に住む。自主避難の場合、東電による賠償は1世帯あたり最高でも150万円程度。17年3月には住宅提供が打ち切られるため、生活への不安は強まるばかりだ。
       女性は「原発避難に対する社会の無理解を感じる。特に自主避難は明かしても良いことがないので、周囲に言えない人が多い。5年半が過ぎても事故は終わっていないし、避難を続けざるを得ないことをもっと知ってほしい」と訴えた。
       2人の娘を連れ福島県郡山市から新潟市に母子避難している磯貝潤子さん(42)も「ショックだった。自分だけが我慢すればいいと思っていたのに、子どもまで嫌な思いをするようでは、何のために避難したか考えてしまう」と、今回の問題に心を痛めている。「子どもが嫌なことを言われたら、間違ったことはしていないと相手に言うしかない。腹は決まっているけど、全て自己責任にされることに抵抗がある」と複雑な心境を明かした。【日野行介】

      いじめを巡る経過

      2011年 3月 東日本大震災が発生
            8月 生徒が横浜市の市立小に転校、名前に菌をつけて呼ばれるいじめが始まる
      2012年 6月 10月まで不登校に
      2014年 5月 「(原発事故の)賠償金があるだろ」と遊興費に金銭を要求される。再び不登校に
            6月 校長が金銭のやり取りを市教委に報告
            7月 保護者が神奈川県警に相談
      2015年12月 保護者が市教委にいじめ防止対策推進法に基づいた調査を申し入れ
      2016年11月 市教委の第三者委員会が報告書をまとめる
       ※第三者委員会報告書などに基づく


      ニュースサイトで読む: http://mainichi.jp/articles/20161124/ddm/041/040/051000c#csidx1c1d0dd9c401e3a8fb5c784dd3c4c91
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